2023.01.20
岐阜県総合医療センターNICU 祝35周年!
- 執筆:
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寺澤大祐
1998年、長野オリンピック・パラリンピックが開催され、橋本龍太郎内閣から小渕恵三内閣に代わり、初代iMacが誕生した、そんな一年でした。「ハマの大魔神」(佐々木主浩)、「凡人・軍人・変人」(田中真紀子)、「だっちゅーの」(パイレーツ)が新語・流行語大賞の年間大賞を受賞した年でもありました。
そんな1998年に岐阜県総合医療センター新生児センターが誕生しました。なお1998年は僕が高校を卒業し、医学部に入学した年でもあります。
旧長良病院(現在の長良医療センター)で行っていた新生児の診療の一部が当院(当時は県立岐阜病院)に移管され、初代部長の市橋寛医師(現在は郡上市で開業)の元、新生児センターとして多くの赤ちゃんの救命を開始したのです。
その当時は、今ほど発達した新生児医療・看護の体制ではなかったため、当時の苦労や苦悩は今の比じゃなかったんだろうな、と推測します。
当センターといえば、特筆すべきことがあります。
当時は早産の赤ちゃんたちを早く大きく育てるために、全国の多くの施設が粉ミルクを一生懸命与えていました。しかし、そのような赤ちゃんにお腹の調子が悪くなったり、全身状態が不安定になったりすることを市橋先生が発見しました。そして粉ミルクを母乳に変えたところ、そういった症状が激減したのです。母乳が赤ちゃんには重要、ということは言われていましたが、早産の赤ちゃんにはその効能がテキメンに現れました。
今では、日本中どこの新生児センター(NICU 新生児集中治療室)であっても早産の赤ちゃんには極力母乳を与える、という方針をとっています。「岐阜県総合医療センターの新生児センターといえば、早産への母乳だよね」と今でも全国の年配の新生児科医には認識されています。
また、近年では一般社団法人日本母乳バンク協会も設立され、母乳分泌が開始する前のお母さんの代わりに、母乳バンクで適切に処理・保存された母乳を確保し赤ちゃんに与えることで、未熟な赤ちゃんたちであっても、出生した数時間後から母乳の恩恵に与ることができるようになっています。
さて、そんな私たちの施設は今年、2023年、設立35周年を迎えました。
正確な統計はありませんが、およそ年間300名ほどの赤ちゃんが入退院していますので、単純に計算しても10000人以上の赤ちゃんが当センターを卒業していったのでしょう。
1000g未満で生まれて当センターで救命した女性が成人・結婚され、当センターで新たな生命を出産された、というケースもあります。
重い先天性心疾患で出生されて、当センターと小児循環器病チームらで手術治療を受けられた女性が、成人になられて当院で赤ちゃんを出産された、というケースもありました。
部長も2代目 河野芳功医師を経て3代目 山本裕医師に引き継がれています。河野医師は母乳育児の啓蒙の重要性を引き継いで尽力されました。山本医師はより重症な状態の赤ちゃんの心臓の機能を評価・改善させることで生命予後を改善させることに心血を注いでいます。
35年という歴史が、しっかりと次の世代に繋がっていく。そんなことを感じざるを得ません。
この35年という時の流れを受け継ぎ、そして発展させて、次の時代に確実に繋げていく。これもまた、私たちには重要なことでもあります。
そんな思いから、岐阜県総合医療センター新生児センターを象徴するロゴを作成しました。デザインは、いぶき福祉会デザイン室に依頼し、私たちの思いを具現化していただきました。
新しいロゴと共に、2023年も多くの赤ちゃんのご家族に出会い、いのちと未来を救っていきたいと思います。
2023年もまた、岐阜県総合医療センター新生児センターをよろしくお願いいたします。
この写真、元旦の朝焼けです。
4つの雨粒が並んでいて、4人家族を象徴していていいなぁ!と思って妻に見せたら
「大ちゃん、おっぱいのことばっか考えてるでしょ」と言われました。
母乳育児に熱い病院ではありますが、新年早々からそんなことばっかり考えている訳じゃありません。
いぶきからのコメント
寺澤さんのお話を講演会やいぶきのスタッフ学習会で聴かせていただいたことがあります。「いのちのバトン」ということばにいつもハッとさせられます。ただ単に続けるのではなく、ひたむきさと謙虚さを忘れていないかを問われているような気がするからです。今回、そんな寺澤さんたちの思いを表現するプロジェクトにいぶきも少し関わらせていただけたことが嬉しくて。素敵な機会をありがとうございました。