maruめぐりのプロローグ | 思いを育み、役割を作るえんがわピープルの物語

maruめぐりのプロローグ

執筆:

いぶきからのコメント

福岡の工房まる。いつもとてもおだやかな空気が流れていて、障害のある人、ない人なんて関係なく、その人がその人らしくいられることをとても大切にしている場所です。アートを活動の中心にしているけれど、作品ではなく、ひとつひとつのいのちを丁寧に育んでいるところ。それから「すべての人が、人や社会の関わりの中に何からの役割が必ずある」ことを追究しているところが、いぶきとmaruとの共通点。私がmaruが大好きな理由です。

工房まるでは毎年オリジナルカレンダーを制作しています。
2023年版もまもなく完成。いや、もう11月だというのに。これでは、なかなか取り扱ってもらうお店の新規開拓は難しいので、来年こそは早めに取り掛かって、夏には営業を始めよう。
と誓うところまでが一連の流れとなってしまっていて、その原因はやはり取り掛かりが遅いからで、11月にはいつも完成するのだから、3ヶ月、せめて2ヶ月早く始めさえすれば夏場の完成も夢ではないはずなのに、どうしてもズレ込んでしまうこともあれば、気がつけばもうこんな時期
と焦ったり。
それでも、自信を持ってリリースできるものにするため、完成がさらに伸びようと、一切の妥協なく作り上げられるアートカレンダーは、毎年”maru史上最高傑作”を更新し続けています。
ご興味のある方は、ぜひオンラインストア「maru market」をご覧いただけると幸いです。
 

 

・・・と、つい宣伝になってしまいましたが、私はmaruの活動の柱のひとつである、アートやモノづくり方面の担当をしています。
卒業した大学名に”福祉”がついてることに気づいて、この業種に職をあたってから、20年以上が経ちました。
昨年、前職の入所施設が20周年を迎え、その記念誌用に「アート活動を始めた経緯」というお題をもらって書いたテキストがちょうどありましたので、こちらを以て自己紹介に代えさせていただきたいと思います。(その記念誌には、なぜか掲載を見送られてしまったので、幸い流用にはあたらないかと
…) 

 

『アートじゃなくても良かった』 

どう生きるか、日々をどう送るか、何を得て、なにを失うか、これをしたい、あれはしたくない、どこに行く、ここにいる、逢いたい、会いたくない、etc…、
日常は何かしら大なり小なり岐路の連続で、否応なく迫られてはその選択を繰り返し(ときには選択しないことを選択し)、いつしかそれには”責任”が伴うことをうっすらと実感し始め、いつまでもモラトリアムなままではいられないことを明確に自覚したのが、〇〇〇〇(※前職の施設)に入職してからだった。
 

 

「本人主体」を謳うのならば、本人主体”風”に陥りがちな施設特有の構造が変わらなければ、と当時はその変革が可能だと思っていたし、難しい話ではないと思っていたけれども、実現に向け言葉を尽くせるほどの技量も度量もそもそも理想すら持ち合わせていない中で、あれやこれやと意見したり、提案したりと気ばかり急いて、当時の施設長や職員の方々には、大変面倒な思いをさせてしまったことと反省しきり。
20年前の自分の想いを若気の至りと表現しても差し支えないと思うが、今もさして変わりがないのは、進歩がないのか頑固なのか。

 

日中活動を検討する際に、2000年代に立ち上がった施設が旧態依然とした作業って無いよなぁ、とは漠然と思っていたが、作業内容そのものよりも、予め用意されたせいぜい3つ4つの作業の中から利用者は選択せざるをえないこと、そこにやりたいことがなくても、選択しないという選択肢は用意されないことなど、何の対価との引き換えでもないのに、それが当たり前に課せられる状況が生まれることが、なんだかフェアじゃないよなぁと引っかかっていた。
であれば、既にその人が選択していること=「好きなこと」を活動にしてしまえばいいんじゃないか、という思索に至るも、そんな“作業“でいいの?それをやって何になるの?との声も聞かれ、また従来の施設で取り組む作業の成り立ちや活動の背景・意味などに触れる機会もあり、利用者のためにはこういった作業がやはり必要なのだろうか、単に自分の反発心が騒いでるだけではないか、という迷いも生じていた。
 

 

 

それでも、ある研修で「たんぽぽの家」(奈良)の表現活動について話を聞く機会があり、スタッフの視点や施設の在り方にけっこうな衝撃と共感を覚えて、あぁ、これでもいいんだ…!と、「好きなこと」「やりたいこと」をやる日中活動へと完全に切り替える気持ちが固まった。 

 

活動を移行するうえで、もうひとつこだわったのは、一人ひとりの活動スペースを設けることだった。長机を囲んで皆でワイワイやる良さもあると思うが、自分の場所で、自分のペースで、思い思いに活動する。
時々のんびりしようがダラダラしてようが許される、その人の領域。
利用者さん一人ひとりをイメージして、パーテーションや棚でスペースを区切ったりもしながら、レイアウトを組んでいった。
 

 

作業棟のレイアウトが完了して、「明日からここで活動しますよ」と、利用者さんにそれぞれの場所・座席を案内して伝えてまわった。
このときどんな反応があったかを全く覚えていない。
自分もどんな気持ちでいたのかすら全く記憶にない。
 

 

 

翌日。朝食~体操・散歩が終わってから午前の作業時間となるが、散歩後は汗を拭きにみんな居室へ戻られるので、作業棟の鍵を開けたあとに、それぞれの居室に声をかけて回るのもほぼ日課。
しかしこの日、いつものように鍵開けに向かった作業棟前で目にしたのは、扉の前に集って、鍵が開くのを待つ利用者さんたちだった。
今でも忘れられない場面だけに、むしろ本当に見たのかどうかすらあやしい気もしているが、その先頭には、居室でよく絵を描かれているMさんがいた。
やっぱり「好きなこと」があると違うんだなぁ、とその時は感じていたが、室内に入り、それぞれが自分の場所で、どかっとイスに腰掛けるところを見てハッとさせられた。
 

 

鍵が開く前から待っていたのは、ただここに”居場所”があるからだった。
色々ぐるぐる思案してきたけれど、まず僕らがやるべきことは、その人の安心できる居場所を整えることだった。
 

 

この記事を書いた人

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池永健介

いけなが けんすけ
2007年より、障害福祉サービス事業所「工房まる」支援員。作品展やイベント、およびグッズの企画制作を主に、作品のアーカイブ、権利関係の整備や、工賃体系などの仕組みづくりを担当。

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