2026.09.19
価値は、その人の中だけにあるのではない ──相模原の事件から10年【北川コラム Vol.8】
- 執筆:
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北川雄史
まるで、いぶきを表現したような映画でした
この夏、久しぶりに映画館へ足を運びました。『急に具合が悪くなる』です。
映画のなかでは、認知症のある人たちが暮らす施設を、地域へ開かれた場所に変えていこうとする取り組みが描かれていました。しかし、現場からはさまざまな反対や不安の声が上がります。人手が足りない、お金がかかる、制度との折り合いが難しい。新しい価値観へ向かおうとするときに起きる葛藤です。
その様子を見ながら、僕はいぶきで歩んできた道のりを思い出していました。施設を閉じた場所ではなく、地域とつながる場所にしていくこと。そこで生まれる戸惑いや衝突も含めて、とても重なるものがありました。
ただ、同じ映画を見た家族と話していて気づいたこともあります。僕は仕事を通して、「生きること」や「ケア」について考え続けてきました。だから映画の内容が自然に入ってきましたが、そうした経験の少ない人にとっては、一度では受け止めきれないほど多くの問いが詰まった作品でもあったようです。
上映はそろそろ終わりかもしれませんが、もし配信などで観る機会があれば、ぜひおすすめしたいと思います。
「重度の障害のある人の価値って、何だと思いますか」
同じ週に、地元の記者の方から取材を受けました。いろいろな活動をしているので、一言では説明しきれませんね。そんな話から始まり、3時間ほどゆっくり対話を重ねました。
(記事は、2026年8月5日の中日新聞「この人」の欄に掲載していただきました。)
そのなかで、ひとつの問いをいただきました。今年の7月26日は、相模原市の障害者支援施設で19人の命が奪われた事件から10年という節目でした。その流れのなかで記者さんが尋ねられたのです。
「重度の障害のある人の価値って、何だと思いますか」
僕はこうお答えしました。
価値というのは、その人自身の中にあるのではなく、人と人との関係のなかに生まれるものではないでしょうか、と。
僕にとってあなたにどんな価値があるかは、僕とあなたの関係によって変わります。だから、誰かの価値を考えているとき、実は問われているのは僕のほうなんです。
相手に価値を探し、見つからないと「価値がない」と判断してしまうことがあります。でも、そうではありません。相手との関係をどう築くのか。その人をどう理解しようとするのか。その可能性をどう開こうとするのか。問われているのは、いつも私たちの側です。
「価値があるか」という問いへの違和感
10年前におきた相模原の事件以降、優生思想について語られる機会が増えました。もちろん、それを学び考え続けること自体は、大切なことです。
けれど僕は、「障害のある人に価値があるかないか」という問いそのものに、どこか違和感を覚えています。
僕と記者さんとの関係も、寝たきりで暮らしている仲間と僕との関係も、本来はとても個別的なものです。ひとりひとり違う人生を生きている人たちを、「障害者」というひとつの言葉でまとめて価値を語ろうとすること自体に無理があります。
人は誰でも、それぞれ異なる関係の網の目のなかで生きています。だから、本当は「障害のある人の価値」を語るのではなく、「私たちは目の前の人とどう関わるのか」を考えるべきなのだと思います。
鍵をかけるのか、ひらくのか
10年前、事件の直後にNHKの取材を受けました。当時は、「また同じような事件が起きるかもしれない」という不安が広がっていました。多くの施設が取材を断り、門や鍵を強化し始めていました。
いぶきには門も塀もありません。どの事業所にもありませんし、日中は玄関の鍵もかかっていません。(最近のことですが、さすがに近くに熊が出たときには、自動ドアの電源を落として手動にしましたが…。)
それは危険を軽く考えているからではありません。あのとき取材でお話ししたのも同じことでした。門や鍵で防げるものもあるでしょう。しかし、それ以上に大切なのは、地域のなかで理解され、声をかけ合える関係があることではないでしょうか。
障害のある人が敵意の対象にならない社会。生きる価値を疑われない社会。そんな社会をつくることが、本当の意味での安心につながるのだと考えています。
鍵をかけることは、閉じていくことです。僕たちが目指したいのは、その反対です。
回り回って、生まれていくもの
「関係のなかに価値が生まれる」というと、何かを与えたら何かが返ってくる、そんな単純な話に聞こえるかもしれません。でも、人と人との関係はもっと複雑です。
外から誰かが訪ねてきてくれた日、仲間たちはとても嬉しそうです。
「あの人、楽しかったよね」
そんな会話が何日も続くことがあります。反対に、うまく噛み合わなかったり、モヤモヤが残ったりすることもあります。それもまた、人と人が出会うということだと思います。
人は関わることで少しずつ変わっていきます。そして、その変化はまた別の誰かとの関係へつながっていきます。直接返ってくるとは限りません。でも、社会のなかで巡りながら、どこかで誰かのためになっているかもしれません。
僕はそんなふうに、人の価値もまた関係のなかで育っていくものだと思っています。
相模原の事件から10年。あらためて思うのです。価値は、その人の中にあるのではない。人と人が出会い、関わり、理解しようとするときに生まれてくるものだ、と。
だから僕たちは、これからも鍵をかけるのではなく、人と人との関係をひらいていきたいと思います。


いぶきからのコメント
2024年7月の法人30周年を機に、25年前からいぶきを知る北川が、コラムをはじめました。30周年を超え、40周年、50周年と続くいぶきでありたい。そのためにはどう未来をつくっていこうか? 大切にしたい考え方とは? いろいろな角度から語っていきます。
第8回は、相模原市で起きてしまった「津久井やまゆり園」の時間から10年の今年、改めて価値とは何かを考えました。