「いぶきふれあいまつり」が、コロナ禍を経て、地域といぶきに残したもの【北川コラム Vol.3】 | つながり、価値を創るえんがわピープルの物語

「いぶきふれあいまつり」が、コロナ禍を経て、地域といぶきに残したもの【北川コラム Vol.3】

2024年7月に、社会福祉法人 いぶき福祉会は30周年を迎えます。これを機に、25年前からいぶきを知る北川が、コラムをはじめてみようと思います。30周年を迎えるにあたってのおもいとは? つくりたい未来とは? 大切にしたい考え方とは? いろいろな角度から語っていきます。

第3回は、コロナ禍の直前まで約30年つづいた、いぶきと地域の交流イベント「いぶきふれあいまつり」と、コロナ禍を経て、いぶきが描く未来の協働のあり方について、お話します。

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30年続いた、地域といぶきの交流の場「いぶき ふれあいまつり」

第2回のコラムで、いま、中高生などの「子どもたち」に注目しているとお話しました。彼らは、協働しながら一緒に未来をつくる頼もしいアクターと考えています。

いぶきと地域の子どもたちが交流する大きなイベントが、実はコロナ以前はありました。法人化以前の1993年から2019年までつづいた「いぶきふれあいまつり」です。

このお祭りは、毎年4月の第4日曜日に、岐阜市立島小学校の校庭や教室をお借りして実施していました。約1,000〜1,500人の地域の方々が集まる大きなイベントだったんです。
校庭にはたくさんのテントが並び、小学生はダンスを発表し、中学生はギターとマンドリンのアンサンブルを演奏。高校生はボランティアで活躍し、調理学校の学生はうどんやカレーを振る舞い、大学生はあちこちで踊りを披露する。

そんなふうに、地域の方々も役割を担いながら、いぶきと学校の先生と子どもたちが集う、いきいきとした地域の景色がありました。

30年近く続いたお祭りですから、開始当初10歳だった子どもは、いまや40歳になっているわけです。回数を重ねるごとに、「小さい頃から、 いぶきまつりに来てます」と、お子さんを連れてくる親御さんも増えていました。

お祭りに参加していた子どもたちが大人になり、いぶき福祉会の採用面接を受けてくれることもありました。いま、いぶきの職員の中にも、いぶきまつりで学生の頃に活動していたメンバーたちが何人もいます。

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変化する時代と社会のなかで、ともに未来を物語っていく必要性

昔からとはいえ、学校にとっては、「いぶきふれあいまつり」のようなインフォーマルなイベントに学校を開放するのは、英断だったと思います。このように学校にも応援してもらいながら、地域の人たちとの交流や体験は、脈々と受け継がれていました。

ところが、2019年を最後に、コロナ・パンデミックのため、お祭りが中止を余儀なくされました。
地域をあげてのあれだけ大規模なイベントだったので、仕方がありません。

コロナ・パンデミック後も、そもそも感染症などへの配慮から、大規模イベントの開催自体に、関係各所からもためらいが出てきました。
学校へのお願いも、一旦中止にしてしまうと、「去年もやったから今年もやりましょう」という話が通じにくくなります。さらに先生は異動もあり、担当の方が変わると、1から説明をしてお願いすることから始めなけれないけない。
そんななか、無理を承知で、学校に会場借用をお願いすることは、とてもできませんでした。
そこで、検討を重ねた結果、大きく実施するお祭りは実施しないことになりました

学校のあり方も、教員の働き方改革で変化しています。教員が担う仕事量は以前と比べて減ってきました。部活に外部コーチを招いたりと、学校をより地域に開いたものにしていく取り組みもはじまっています。しかし実際は、教員が余裕のある働き方ができるになったわけではありません。学校は範疇外のことに手が回らない状況でもあり、地域との分断が以前より加速している構図になっているようにも感じます。

ただ、こうした変化が起こるのは当然です。時代も移り変わっていますし、社会もここ30年でものすごく変化しました。もちろん、僕たちいぶきも変化しています。

しかも、これらの変化は一様ではありません。学校も社会も地域も、それぞれ重なりながら異なる変化をして、多重多層なフェーズが生まれています。これからは、このような複雑さや多様性を前提として、未来の物語を語っていく必要がありますね。

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「強いリーダーによる大イベント」から「多様なアクターによる小さいプロジェクトの数々」へ

来年の30周年とその先を見据えて、いま考えていることがあります。今までは、「強いリーダーを中心に大きなものをつくる」アプローチでした。これを、「多様な方々が、さまざまな役割をになって、小さなものをいくつも重ねていく」というあり方に、シフトさせていこうとしています。

たとえば、その試みのひとつが、2023年10月21日(土) に開催した「まるっと いぶきDAY」です。

「まるっと いぶきDAY」とは、小さな規模の地域交流イベントを、いぶきの複数の場所で、同時開催するものです。いぶきはいくつかの地域に分散して施設を持っています。先日、県外から訪れた方は、1ヵ所にまとまっていると思われていたようで、拠点を見学しながら「多島海」のようですね、とびっくりされていました。

具体的には、「まるっと いぶきDAY」では、あかねとソレイユの仲間たちを中心に、ご近所の方々をお招きする『岐阜の小さな隣人祭り』、日光町の家で、地域の子どもたちに毎月楽しく参加してもらっている『にっこりえんがわマルシェ』、第2いぶきで、地域の方々にご参加いただく『ハッピーすまいるフェスティバル』などがありました。

イベントの様子は、いぶきのYouTubeチャンネル『いぶきの小窓』での配信を行いました。実際にイベント会場にお越しになれない皆さんにも、イベントの景色をご覧いただけるための工夫です。このように、いぶきの仲間たちと地域の方々が、さまざまな形で交流できるよう、多様なタッチ・ポイントをつくることを大切にしました。

いろいろな方々が参加し、役割を担える“30周年記念事業”を

確かに、かつての「いぶきふれあいまつり」のような大きなイベントは、インパクトもあり、達成感も大きかったかもしれません。いぶきは、岐阜の社会福祉法人としてはかなり大きく、職員だけでも200人。ここに仲間150人と親御さんも含めると、およそ500人になります。さらに職員の知り合いや家族も入れて700から800名。地域の方々や関係者も加えると、1,000人はすぐに超えてしまいます。ですので、1,000人規模のイベントをやろうとしたら、今でも実現可能です。

ただ、そのような大規模なイベントでは、同じ会場にいるのに、一人ひとりの顔がなかなか見えない欠点があります。これでは大切なことが抜けてしまいます。未来のいぶき像はこういう姿ではないな、と思うようになりました。

これからは、お互いの顔がわかる地域になっていくといいし、名前で呼びあえる関係をはぐくみたい。それが、「ソーシャル・キャピタル」が豊かな地域のあかしです。

来年、30周年記念事業として、みんなの森 ぎふメディアコスモスのギャラリーで、「いぶき展」を開催しようと企画しています。これも、1回限りではなく、毎年集まれる「文化祭」のように、継続的なコミュニティにできたらいいな、と思いはじめています。

コミュニティのスタイルは、文化祭に限らず、バーベキューでも忘年会でも、なんでも構いません。「まるっと いぶきDAY」のように、いろいろな方が参加し、役割を担えるような小さな場を、未来のいぶきでは、たくさんつくっていきたいと考えています。

第4話へつづく…

*仲間とは: いぶき福祉会では利用者の方々を「仲間」と呼んでいます。詳しくは【北川コラムVol.1】へ。

 

【アーカイブ】
北川コラムVol.1 1995年。いぶきのはじまり、僕の節目
北川コラムVol.2 「対話し、協働できる社会」をつくる30周年記念事業を
北川コラムVol.3「いぶき ふれあいまつり」が、コロナ禍を経て地域といぶきに残したもの(現在の記事)

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この記事を書いた人

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北川雄史

きたがわ ゆうじ
社会福祉法人いぶき福祉会 法人本部 専務理事
協働責任者/社会福祉士/インターミディエイター

1969年京都市生まれ。高校までを神戸ですごし、1997年に社会福祉法人いぶき福祉会に入職。それ以来岐阜で暮らしています。
「ものづくり(作って売る)」から「関係づくりの先に仕事と収益がうまれる」ことへの転換とそのモデルづくりに取り組んでいます。
障害のある人との日々の営みを、新しい価値観にもとづく協働社会の幸せのひとつの形として物語り、ソーシャル・キャピタルの醸成と誰もが支え合いながら人間らしく生きられるケアリング・ソサエティの実現を目指しています。

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