誰もひとりではいきていけない  親なき後をつなぐバトン~ interview 007 | いのちと生活を支えるえんがわピープルの物語

誰もひとりではいきていけない  親なき後をつなぐバトン~ interview 007

インタビュー第7回目、最終回は、いぶき福祉会の理事長 横山文夫さん。
横山さんは現在のいぶきの前身となる「いぶき福祉会設立準備会」の頃から会長を務め、およそ40年もいぶきを支え、導いてきた方です。
弁護士という仕事を本業としながら、法人の理事長として、時に本質的な経営課題に取り組み、時に客観的な意見を呈する。その絶妙なバランスで理事会を執り仕切る横山さんがどんな思いでいぶきと関わり続けてきたのか、あまり語られることのなかったエピソードとともに親なき後のプロジェクトと今とこれからのいぶきについて語っていただきました。

 

聴き手・文:篠田花子(ヒトノネ)

1991年、いぶきの事務所で寄り合って

私がいぶきと関わりはじめたのは1989年頃、弁護士になって14年目で、いぶきはこれから法人化を目指そうとする段階のころでした。当時、いぶき共同作業所の利用者が私の勤務先の弁護士事務所まで新聞を集めに来ていたりと、少し関わる程度でしたが、設立準備会をつくるから力をかしてほしいと頼まれて、ほんの軽い気持ちで引き受けたことを覚えています。そして1991年に設立準備会の会長となりました。

その時代、社会福祉法人の認可をとる要件はとても厳しく、自前の土地が必要なうえに建物設備の4分の1の資金をもっている必要がありました。自前の土地はもちろん、その必要資金をどうするか。途方もないような目標でしたから、法人化はまだ先の話か、なんて思っていたのも正直なところです。

しかし、設立準備会が発足し、活動が本格的にスタートする頃には自分の心持ちも少し変わっていたかもしれません。1992年3月末に岐阜市から島支所の跡地を無償貸与していただくことが決まり、あと1年で必要資金4500万円を集めようということになりました。準備会のメンバーはそれぞれ皆、仕事がありますから、集まるのは19時頃。それから寄付の集め方や今後の運営方針など議論を重ね、気がつけば午前様という日もあったほどです。

私も弁護士会の仲間や同窓生などさまざまな方に手紙を書き、募金活動をしました。お世話になっていた大学の先生も寄付集めに苦心してくださったり、私の法律事務所の友の会のメンバーにも協力を仰ぎ、友の会よりいぶきの活動にのめり込んでいたといっても過言ではありません。そうして、多くの人たちの協力のおかげで、いぶきは法人化することができました。理事長の命を賜ったのも法人化準備の最後の最後。「あんたしかおらん」と背中を押されて、引き受けたのでした。

 

いぶきが、みなの心の在り処

なぜそこまで自分がいぶきの活動に奮励したのかと問われると、「いぶきが自分にとって心休まる場所だった」というのが答えでしょうか。弁護士という仕事は争い事を当事者に代わって引き受けるような仕事ですから、そこで遭遇する事件や緊張感と、いぶきで出会う人たちは全く世界が違う雰囲気がありました。いぶきに戻るとホッとして、心が洗われる時間を過ごせました。いぶきの活動が、私にとってはライフワークのようなものでした。もちろん私だけではなく、誰もが自分の利益などはひとつも顧みず、純粋にいぶきに手を貸したいという気持ちを持っていたと思います。

いぶきでは、職員と兼任する役員以外は、理事長の私も含めて報酬を受け取っていません。親も職員もいぶきファミリー(後援会)に入会し会費を支払っています。みんなが手弁当で、障害をのある方たちの豊かな暮らしを実現しようと歩んできたと思います。それは40年経た今でも何ひとつ変わらない思いです。

ずっと立ち向かってきた親なきあとのこと

障害のある方を主人公にした施設づくりを念頭に、次の時代をつくっていこうと皆でいぶきを運営してきました。大きな流れでいえば、“親なきあとの問題”にはずっと立ち向かっていて、できる限りの手を尽くしてきたとは思っています。グループホームのパストラルいぶきを作ったこともそのひとつです。みんなで明日を信じて取り組んできて、設立当時から考えれば想像をしなかった規模や環境にはなりました。でも、やっぱり福祉の分野、とくに親なきあとの問題には制度的な限界がある。国の政策を変える世論を作り、制度を変えなければいつになっても楽にはなりません。
法律は明日明後日変えられるものではありません。だからこそ、いぶきとして次の10年20年をどう続けていくかを考えて、新しい世代へ受け継ぐ時が来ていると思っています。

 

進むべき道を語り合いながら

施設などのハード面には限界があるとしても、ソフト面はまだ耕す余地があります。たとえば、親なきあとの仲間の権利・人権問題。いぶきの仲間が自分の意思を表明できる権利をどう保障することができるか、また親や家族にはどんな権利があるのか。そういったこともきちんと整理して、正しく理解しあい、言語化していく必要があると思っています。権利や人権の問題を親や職員ともよく議論しながら、いぶきとしてどう考えていくのかの中核を示し、県や国へ訴えていく必要があるでしょう。また、いぶきの核となる理念、幹の部分を再度皆で見つめ直すことが、永続的に障害のある方たちの豊かな暮らしにつながるはずです。若く新しい人材も増えてきている今、よく話し、語り合うことで大切にしたい思いを受け継いでいきたいと思っています。

 

語り手プロフィール|横山文夫さん 
いぶき福祉会の発足当時から理事長を歴任する。本職は弁護士。昭和の著名事件として扱われるような民事や刑事事件に取り組んできた。趣味は登山で日本の百名山を全山踏破するほど。

この記事を書いた人

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篠田花子

しのだ はなこ
一般社団法人ヒトノネ代表理事。
探究型学童保育ヒトノネと放課後等デイサービスみちな、不登校支援Imaruを運営。ときどきライター。岐阜市在住、3児の母。趣味は音楽鑑賞、いい建築めぐり、畑、美味しいものとお酒。
ヒトノネのHP https://hitonone.com/

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