2022.11.12
縁のはじまり
- 執筆:
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篠田花子
「花子、北川さんと出会うといいご縁がつながるよ」
かつての所属先の上司である平田節子さん(医療法人かがやき総合在宅プロデューサー)が私にそう話してくれたのは、2021年の夏。
その年の七夕に北川さんと初めてご挨拶をして、それから間も無く公私共々お世話になる関係となった。
ご縁をいただいてすぐに、いぶきさんが取り組みをスタートさせた「ぎふハッピーハッピープロジェクト」に誘っていただいた。
実はこの年、ヒトノネは一般社団法人として法人成りしたばかりで、自主事業だけでなく寄付をしっかり募って地域社会に支えていただく意義や仕組みを得る必要があった。
そういう意味で、私にとってぎふハッピーハッピープロジェクトは、地域社会に名前を掲げるひとつの足がかりとなるきっかけをいただいた。
そっか、堂々と寄付募ったらいいんだ! 興味を持ってくださる企業に応援してくださいって声を大にしていったらいいんだな! と、すごく背中を押してもらった。
何よりプロジェクトに一緒に取り組む同業の福祉事業者の皆さんと定期的に対話の時間がもらえたことも大きい。
今なお定例で対話の時間があるが、岐阜で頑張っている仲間として、それぞれの今の取り組みや課題を共有するのが、とっても勉強にも励みにもなり、なんとも貴重な時間をもらっている。
定例会の様子。にゃんポーズ。
さらにもう一つ。
いぶきさんがその年に取り組んでいたガバメントクラウドファンディング「親なきあとの問題を考える“わが子の幸せをたくすエンディングノートプロジェクト」に関連して、私が記事を執筆するという形で関わらせていただいた。
いぶきさんがどんな歩みをしてきたのか、どうしてこの問題に今取り組もうと思ったのか、これから社会をどう変えていきたいと思うのか。
当事者や支援者、それぞれの立場の人たちの想いを綴った。ライターとして仕事をするとき、私は基本的にその人の語る言葉を聞きながら情景を思い浮かべ、画面の向こうの映画を見るような心持ちで話を聴いていく。
感情移入はすれど、どこか客観的に、あくまで他人の話として。ただ、親なきあとの話は私にとってはもう少し手触り感のある話で、ヒアリングの後もずっと心の中に尾を引いていた。
この問題の重さに自分自身も向き合い、ヒトノネにいる子どもたちの未来を重ねると、自分にはこれから何ができるかを考えざるを得なかったからだ。
北川さんの話やいぶきの横山理事長の話は、岐阜の地で大きな熱量とインパクトをもって障害者福祉の土壌を変えてきたいぶきさんの歩みを知ることができた。
情熱が大きな渦を作ってきたんだということ、そしてその渦の中に今私もいることを嬉しくおもった。
私が書いた記事のシリーズには「誰もひとりでは生きていけない」という名前をつけた。
障害をもつ人だけではなく、誰もひとりでは生きていけないから、そのことを自覚して支えあって生きていきたいという想いを込めた。
いぶきという存在が多分、そんな気持ちをつないでいこうとしている人たちなんだと思う。
そして、ヒトノネもまた、「共に育ち合う社会をデザインする」という理念をもっている。
烏滸がましいけれど、同じ想いを持つ同志として、この企てに加担したいなと思っている。
縁を繋ぎスケッチを描くひとりとして。
いぶきからのコメント
自分たちの思いを自分たちの言葉で伝えるだけでいいんだろうか。熱量のあまり一方向のひとりよがりの言葉になっていないだろうか。篠田さんと出会ったのはそんな迷いがあった時でした。(それまではそんなことにも気づいていませんでした)。いぶきに関わる多様な人たちにインタビューして綴っていただいた物語もすでに10本を超えました。自分の今・昔・未来の物語を、わかりやすい穏やかに綴られたことばでたどる心地よさを知りました。これからもたくさん綴っていただく予定ですのでどうぞお楽しみに。